ABSCURA 展 トークイベント「抽象性と必然」

 LILY SHU × 丹羽晴美 @ニコンサロン 銀座 

 2020年1月25日(土)15:00-16:30  雪 

挨拶など前略

 丹羽晴美(以下、丹羽)

東京都現代美術館の学芸員とご紹介いただきましたが、実は都現美に移ってからは、わずか九ヶ月しかなくて、それまでには三十年間写真美術館の学芸員として勤めていました。都現美と都写美とは同じ財団にありますので、今は時々写真美術館の展覧会にも手掛けています。写真美術館時代は、さまざまな個展やグループ展をやってきたのですが、直近で言うと、リニューアルオープン時の「杉本博司」展、2019年春の「志賀理江子」展、そして2019年秋の「洞窟のイメージ」展ですね。

リリーさんとの出会いは、東川町国際写真フェスティバルでしたね、 2018年でしたかな?

 LILY SHU(以下、LILY)そうですね。2018年でした。名刺をいただくまでは、学芸員の方だと知らなくて、でも丹羽さんのテキストを読んだことがあることを思い出して、とても嬉しいお出会いでした。

  丹羽  :ありがとうございます。その後は、ソニーでの展示やエモンフォトギャラリーでの受賞者展を見させていただいて、そしてこの場に呼んでいただきました。 

  LILY  :いつもありがとうございます。実は赤々舎から出版予定の写真集に、巻末テキストも寄せていただきました。今回の展示をご覧になっていただき、どんな印象を持ちましたか?

  丹羽  ニコンサロンではあまり見られない展示の形ですね。入口から光が遮断されていて、入ってきてからは、ぐるりと写真が展示されていて、興味深く拝見しました。リリーさんは、目だけでその光景や状況をみて、フレーミングだけで写真を撮っていない、と思いました。この展示を見て、その印象が確信と結びつきました。今回展示している作品は、何年間分の写真から選ばれた作品ですか?

  LILY  暗中模索だったけれど、撮りながら、整理しながら、五、六年間ぐらいですかね。

  丹羽  入口のカーテンや、額装の有無とか、大きさも様々であるとか、写真を重ねて展示しているものもありますね。何故このような構成にしましたか?

  LILY  このシリーズのタイトルは、アブストラクト(abstract)とアブスキュラ(obscura)という二つの言葉を繋げた造語になります。「抽象的な暗箱」という意味になります。人間の心や記憶、意識や認識のメタファーとしてつけましたが、身体と空間の存在論もテーマの一つです。この展示において、写真たる表象の真偽や、写真が持つ物質性も視野に入れて構成を考えました。

  丹羽  もしかしたら、来場者の皆さんも新鮮に感じられているかもしれませんが、モノクロ写真とカラー写真が入り混じっていますね。

  LILY  モノクロ写真とカラー写真との一番の違いは、表出される「時間性」だと考えています。モノクロ写真は「この体」から遠ざかり、過去にあったものに対する記録となりますが、カラー写真は「今・現在」という時間性を強く帯びています。その違いは、色相な違いを超えて、「平等な色彩」の様相を壊しています。それぞれが呼び起こす心理的・意識的な次元が異なっている、ということですね。写真は印刷物であるが故に、複製的であり均一的であると誤解されることが多いですが、この展示では、異なるイメージに様々な形を与えることによって、複数な時間性を表現したかったです。

  丹羽  時間性の差異のなかで、写真を選んでいるという感じですか?

  LILY  そうですね。時間は私にとって、とても不確かですね。「過去」とは必ずしも遠い存在ではなく、「今」とは、現在進行形だからといって、「リアリティー」そのものではないと感じています。例えば、報道写真がありますよね。フォトリアリズムを極めて、その場面を再現しようとします。高精細かつ大画面ではありますが、臨場感というインパクト以外に、どれだけ見る人のリアリティーに触れられるのかを考えると、疑問が浮かびます。テレビ・ニュース・中継といったメディアの普及は我々が持つ時間に対する感覚、色彩に対する認識を大きく変えました。自分の作品において、もっと純粋な意識や認識に立ち戻りたくて、さらに新しい知覚の枠組みがつくれたらいいなと思っています。

  丹羽  時間を論じると、歴史という視点が関わってくると思いますが、その中で写真を見る時に、誤解が生じやすい、という感じですか?

  LILY  そうですね。社会というものを取りまとめる時に、必然的に大きな言説に伴う視点や見方が生じます。そこからはみ出すことも、絶対的に必要だと思っています。一個人としての見ることの自由というか。その両方が存在して、活気ある共同体が成立すると思います。「見る・見られる」という視点からして、開かれた作品を作りたいと思ってきました。コンテンポラリーダンスのような舞台、抽象性のあるシチュエーションが好きです。

  丹羽  昔から身近なものや風景を撮る写真家が多いなかで、リリーさんが持っている特徴と個性は何だろうと、いつも考えながら拝見しています。リリーさんの作品には、パーソナルでありながら、普遍性に近い何かを感じますね。そして、作品に強度を感じます。とても遠く球を投げるように、いまのことを伝えようとしている、という風に感じます。

  LILY  ありがとうございます。自分にとって、最初には光があり、世界があり、そのなかに自分が生まれ、意識が芽生え、周囲を認識する過程が生きることだと思っています。全てが既に存在している、または存在していた。ただ、まだ私と関係していなくて、制作することや展示することは、生きることと同様に世界と関係性を作ることだと思います。

まだ知りえぬ世界に対して、家族や部屋、家というのは、知り尽されている存在ですね。自分の家って、電気を点けなくても歩けます。一番冒頭に御コメント頂いた「目で撮っていない」という印象は、そこから来ているかもしれません。家族の身体や、家の中の環境とは、身体で捉えるものですね。「見て、知覚して、捉える」というプロセスを超えているところが興味深かったです。

  丹羽  様々な見せ方をとっているけど、パネルにするものとそのまま展示するものがありますが、なぜそうしましたか?

  LILY  もっと紙の肉体性に目を向けてほしかったというか。印画紙の傷つきやすいところも見てくれたらいいなと思いました。複製技術だから何枚でも生み出せると思われがちですが、紙が持たしてくれる感覚、イメージだけではなく、そこにはひとつ弱々しい身体があることも、感じてくれたらいいなと思いました。

  丹羽  額に入っている写真は、触れられないし、傷づけられることもないけど、生のプリントがそこにあるのは、自分の動きで傷ついてしまう、という感覚が見る人にも感じて欲しいですね。

  LILY  そうですね。

  丹羽  リリーさんの展示では、よくプロジェクターが使われますね、それは何でですか。

  LILY  投影というのはイメージの原点だと考えます。定着されたイメージだけではなく、揺らぎつつ、移りゆくイメージも取り入れたかったです。

 

  丹羽  なるほど。光は、私達が見ているのと見ていないのに関わらず、存在しているんですね。この地球に

も、宇宙にも光に溢れている。定着されたものだけじゃなくて、やってくるものまで意識させられますね。

  LILY  自然光が持つパワー、電子機器が作り出す光と異るところは、地球の外からやってくるという事にあると思いますね。その光の存在を通じて、私達はいかにより大きな循環と繋がっていることが感じられます。

  丹羽  自分の知り得たところから始めていて、そして思い切り遠くまで球を投げるように、リリーさんの表現の射程がとても広いと感じます。いま同じく東京に暮らしている私たちだけではなくて、もっと古代に、もっと未来まで繋げようとしているのが見て取れます。表現の世界ではよく「いま、ここ」だと言いますが、「いま、ここ」を大事にしながらも、例えば 50年後、100年後にその作品を見る時に、他人事だと思わないような抽象度がある、という印象を受けます。

 

多くの作家には、作品とタイトルを同時に見ることで、一つの物語性が頭に浮かび上がるような仕掛けがされていることが多いけれど、リリーさんの作品はあまりそういったところは見受けられないですね。リリーさんの作品を見た時に、この人には「抽象性」がキーワードになっているんだなと思いました。そして、それがリリーさんにとって必然なことだと作品を見て感じました。

 

  LILY  確かに「匿名性」や「抽象性」は目指しているかもしれません。例えば、いまスライドで見せているCirculation(サーキュレーション)というシリーズですが、世界の様々な土地で撮った写真によって構成されています。詳しく言えば、負の歴史の記憶が強い場所になりますが、ラオスや、カンボジア、メキシコとか、それに母国の中国もあります。記号を認識するような思考回路を避けたくて、ランドマークとか、文字とか、看板などは一切入れていないです。

  丹羽  おそらくリリーさんの作品には、メビウスの輪のような、内側と外側が繋がっていながら、ひっくり返したりするものがあると思います。制作において、「呼吸」を大事にしていると聞いたことがありますが、その時「内臓」という言葉も使ったね。まさしくそういった内なる存在を探っていくような感覚があります。

  LILY  そうですね、「呼吸」と「内臓」もキーワードです。人間も物も「ランドスケープ」または「環境」と捉えて見ています。もし一つの違いがあると考えるなら、それは内臓の存在だと思います。表面しか撮れないことが写真のパラドックスですが、見えないものと連動するところが面白くて、奥深いですね。そういった関係性を潜在意識のレベルで呼び覚され、喚起させることは、いまの時代と私達が立ち向かう危機を乗り越えるためにも、とても重要だと感じています。

 

  丹羽  最後になりますが、これからリリー・シュウさんという作家を知るヒントに詰まった展示ではあるかなと思います。

  LILY  ありがとうございます、引き続き、頑張ります。皆様、ご清聴ありがとうございました。

丹羽晴美(にわ・はるみ)

東京都現代美術館学芸員、事業企画課事業係長

法政大学・学習院女子大学非常勤講師、ドイツ国立ヒルデスハイム大学非常勤講師(2014-15秋冬)

主な展覧会に「杉本博司 ロスト・ヒューマン」(2016)、「須田一政 凪の片」(2013)、「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」(2013)、日本の新進作家vol. 10 写真の飛躍」(2011)、「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」(2011)、「セバスチャン・サルガド アフリカ」(2009)、「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」(2009)、「鈴木理策:熊野、雪、桜」(2007)、「恋よりどきどき:コンテンポラリーダンスの感覚」(2005)、「馬へのオマージュ」(2002) ほか